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大人になってから知るあの時の真実~その3

この事実を知ったのは、今年です。

 

半世紀を超えて私の知らなかった事実。

 

少なからず、私にとってはショックでした。

 

 

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毎週、母のお見舞いに行くのを約束に、伯母の家に行った私です。

 

私よりも一つ小さい女の子Yちゃんと、その下に男の子T君がいました。

私の従兄弟たちです。

 

私は二人のお姉ちゃんになりました。

 

T君は、本当のお姉さんのYちゃんよりも私を慕ってくれていたと思います。

 

伯母は、Yちゃんと私にお揃いでワンピースを作ってくれたり、

授業参観も、従妹のクラスと掛け持ちで、私のクラスにも来てくれました。

 

ただ、群馬の叔父の家は、物心が付いた時から住んでいた自分の家だったのですが、伯母の家を自分の家とは思えませんでした。

ずっと、親戚の家に泊まりにきているといった感じでした。

 

 

~~~ 時は流れて ~~~

 

数年前、法事で親戚の人たちが集まった時のことです。

 

伯母の長男のTくん(すでに立派な大人になっています)が、言ったのです。

”〇〇叔父さんは、しばらく家で面倒をみてたから、、、”

 

私が叔母の家を出て、母と暮らすようになった後、今度は、義伯父の弟さんが居候をしていたらしいのです。

 

話の流れから、T君は、〇〇叔父さんが、今、何かと良くして下さるのは当然!と思っているようでした。

 

私は、その言葉がずっと気になっていました。

 

この夏、母と晩酌をしていたら、叔母の家の話になりました。

 

私が

”Tくんは、私のことも〇〇叔父さんと同じように、家で面倒を見ていたって思っているんだろうね。何かしてくれても当然だって”

と、言いましたら

 

母が

”お前が、気にすることではないよ。

確かに、伯母ちゃんの家でお世話になっていたけれど、お母さんは、お前の食費として月に2万円。その他、お前を連れてお見舞いに来てくれる度に、おばちゃんには1万円渡してた”

 

驚きました。

 

入院中の母から?

お金取っていたの?

 

小料理屋さんで働いていた母です。

会社員と違って、休んでいたら収入もないんです。

収入が無くても、借りているアパート代も支払わなければならなかったのです。

 

義伯父は、電鉄会社に勤めていたので、その頃は家族定期(?)というものがあって、社員の家族は電車代がタダでした。

 

伯母は、ちゃっかり私も便乗させていたので、交通費は0で母のお見舞いに行けました。

 

母の支払った1万円は、交通費ではなく、伯母のその日の日当のようなものです。

 

”おばちゃんが出せって言ったわけじゃないよ。お母さんが、お前が肩身が狭くないように、良くしてもらえるようにと思って渡してただけだから”

 

でも、おばちゃん、もらっちゃったんだよね。

 

伯母は、私にとっても血の濃い間柄。

入院中の未亡人の妹からお金を受け取ってしまう、そんな伯母が姪として淋しかったです。

 

毎週、お見舞いに連れて行く!の約束も、今週は行けないということもあって

その度に、連れて行って!って強請っていた私。

 

その度に、母にお金を出させることになっていたとは、、、

 

母は、このことをずっと私に黙っていました。

 

私にとって耳障りの悪いことは、母は話さなかったのですね。

 

他にもあるかも、、、

 

 

数年前に伯母は亡くなりました。

 

怪我をして入院したら、認知症のようになってしまいました。

お年寄りのアルアルらしいです。

 

話もしない状態だったのですが、私がお見舞いに行くと、にっこりと笑ってくれました。

 

T君が

”おふくろ、嬉しそうだね”

って言うほど、他の人のお見舞いとは違う笑顔だったようです。

 

葬儀の時、伯母のお隣の奥様が

”東京の姪御さんですか?良くあなたの事、話していましたよ”

と、声をかけて下さいました。

 

私が贈ったハンドバックとか、簡単に食べられるレトルトのおかずとか、喜んでくれていたそうです。

 

そんなに喜んでいたって、その時、初めて知りました。