続編的に書かせて頂きます。
何の事情も分からず、ただ自分の希望で叔父との二人暮らしを続けていた私。
それを心配したのが、母の一番上の姉です。
母は5人姉妹弟の3番目。
上4人が女。
跡取り息子の叔父は末っ子です。
今度は伯母が、横浜の伯母の家に行こうと言い出しました。
当然、行きたくないと答える私に
伯母の魔法のひと言
”おばちゃんの家に来たら、毎週、お母さんのお見舞いに連れていってあげる”
”ほんと?じゃ、行く”
あんなに、おじちゃんが一人になると可哀想だと号泣していた私の
この手のひら返しに、さすがに叔父はガッカリしたそうです。
その1の、叔父の優しい涙の後には、実はオチがあります。
嬉しかったって泣いたあと
”だけど、母ちゃんに会えるって聞いたら、さっさと出て行っちゃたもんなぁ~”
と、苦笑いだったそうです。
お酒も(叔父は下戸です)たばこもしなかった叔父がヘビースモーカーになってしまったのは、この淋しさがきっかけだったかもしれません。
でも、真面目で、けっこうイケメン(昔は、西郷輝彦に似ていました。今は、所ジョージさんに似ています)の叔父です。
無事にコブも取れて、間もなくお嫁さんを迎えました。
さて、横浜の伯母の家に預けられた私。
私の記憶では、1年生を群馬の山間部で終えて、
2年生から横浜の小学校に転校したと思っていました。
横浜の小学校に2年生の1学期から通い始めたのは覚えています。
しかも、転校生扱いで、クラスのみんなに紹介された記憶もあります。
ところが、
ひょんなことで新たな真実が!
~ ジャン!ジャン!ジャン!ジャ~ン! ~
小学校一年生の担任の木村先生が、大好きでした。
以前、先生の事、少し書かせて頂いております。
30歳少し前のころ、その頃は車の運転もしていましたので、
叔父の家に行った帰りに、母と先生のお宅にお邪魔しました。
先生は、すでに退職されていらしゃいました。
久しぶりにお目にかかりたいと思って、電話をしました。
”あの、川場小学校で一年生の時にお世話になった〇〇と申しますが、お判りでしょうか?”
そのくらい、ご無沙汰をしておりました。
私には、一番の恩師でも、先生にとっては、大勢の生徒のうちの一人のはずです。
ところが
”解からないはずないでしょ!〇〇ちゃんのことは、一日たりとて忘れたことはありません!”
嬉しいというより、驚いてしまいました。
今は母と二人で一緒に暮らしていることをとても喜んで下さいました。
その時に、初めてお伺いしたのですが、
先生ご自身も、幼い頃、親元を離れていたことがあったそうです。
ご自分と私を重ねてごらんになっていたのかもしれません。
そして、衝撃の事実!
どうやら、私は一年生の3学期は、学校に行っていないようです。
”いいえ、〇〇子ちゃんは、一年生を終了しないまま、突然にいなくなったのよ!”
お別れも言えなかったので、先生はとても寂しかったのだとおっしゃいます。
この事実!
その当時入院中だった母もびっくり!!!
どうも、横浜の伯母は、お正月に実家である叔父の家に来て、
帰るときにそのまま私を連れて帰ったみたいです。
でもでも、義務教育だよ~おばちゃん!
横浜の小学校の3学期に転入させなくちゃまずかったんじゃないのぉ~
まあ、無事に小学校も卒業できておりますので
まっいっか。