母と私の着物ぐらし

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母を和裁学校に通わせてくれたのは父でした

私は父の顔を写真でしか知りません。

父は私が生後半年の時に亡くなりました。

父を知る方は、一応に ”あんなに良い人はいない” と言って下さいます。

亡くなった人の悪口は言わないのが常識としても、優しい人であったようです。

 

母が再婚をしなかったのは、”お前のお父さん以上の男がいなかった” からだそうです。

私を育てることに一生懸命で、その余裕も無かったのだと思います。

 

母とは毎晩一緒にお酒を飲みます。

先ずは、ビール。

そのあとは、その日の献立次第で、赤ワインか日本酒か。

飲みながら、思い出話をすることもあります。

 

父と母は8つ違いです。

若い頃の8つの歳の差は大きかったと思います。

父は母の髪を三つ編みに編んでくれたりしたそうです。

私にはそんな経験ないですもの。

女性として少し羨ましくもあります。

そう言えば ”恋はつづくよどこまでも” の中で、天堂先生が七瀬の髪をドライヤーで乾かしているシーンがありました。

 

母は三女ですが、最初に結婚しました。

昔のことですので、それも祖父の反対の理由のひとつだったようです。

”料理も、裁縫も何も習わしていないので、少し花嫁修業をさせてから” という祖父に、父は、 ”今のままの母と結婚したいと思っているし、本人が習いたいというものがあれば私が習わします” と言ったそうです。

カッコイイ!!ですよね。

今どき、そんな男性なかなか居ないと思います。

 

結婚後、母は和裁学校に通ったそうです。

今の私の楽しい着物ぐらしは、母のお陰が大きいです。

仕立て上がりの着物と、母が仕立ててくれた着物とでは着心地が違います。

浮いた仕立て代でまた反物を買ってもらいました。

 

一番ありがたいのは、着物のメンテナンスです。

着物は裾が擦り切れたり致します。

歩くたびに擦れますものね。

料亭の女将さんやお茶の先生は、長時間正座をなさったり、いざったりなさるからでしょうか、着物の膝がぬけるとおっしゃいます。

 

裾は、切り上げるのを前提に、着物の丈は少し長めに仕立てておきます。

二度切り上げて着ている着物もあります。

お気に入りの着物はなかなか諦められません。

直してもらうこちらも、着物ぐらしが長くなりますと、長めの時は腰ひもを上めに、逆に短めの時は腰ひもを低めに締めるなどと自在に着れるようになります。

 

もう丈を詰められないときは、裏地を変えてもらったりもしました。

表の生地を天地することもありました。

 

私の和装コートを誉めて頂くことが度々あるのですが、コートも母が仕立ててくれたものです。

着物としてはあまり着なくなったものを母がコートに直してくれたりもします。

 

ウールの着物って、着なくなりましたね。

コートにするとなかなか良いです。

それもこれも、父が母を和裁学校に通わせてくれたからです。

父にも感謝です。

 

今は、緑内障白内障も進んでしまって、出来ないことが多くなっていくのがもどかしいようです。

大丈夫、もう私の一生分のものを用意してもらっています。