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父方の祖母と母と私

ブログを拝見しておりますと、それぞれのご家庭にいろいろな事情があることを知ります。

大切なお母様と、お姑さんであるお祖母様の関係がしっくりいっていないご様子や、実の親子さんでも、価値観が違いすぎて悩みの種になってしまっている方もおいでです。

 

今日の朝ドラの中のセリフが刺さりました。

いつも笑っている人が何も悩みが無いとは言えない。

 

傷ついたことのない人なんてひとりもいませんよね。

人に言えないことのひとつやふたつ誰にもありますよね。

 

 

人に言えないことでもなく、悩みでもないのですが、私は父方の祖母が嫌いです。

 

私が生後半年の時に父が亡くなりました。

 

山での遭難事故でした。

悲しみのどん底にいる母に向かって、祖母は、どうして出かけるのを止めなかったのかと責めたそうです。

死ぬようなことになるのに、妻として何故わからなかったのか、と。

 

解かりませんよね。神じゃないんですから。

無茶言いますよね。

 

そして、これから、一人で乳飲み子を育てていかなければならない母に向かって、孫は他にもいるので援助は出来ないと言って、突き放したそうです。

 

祖父は大人しい人で、何のフォローも無し。

私は父方の祖父母には見放された孫という訳です。

 

 

母は、復籍して、私を連れて母の実家に戻りました。

 

母方の祖父母にとっては、私は初孫でした。

父の居ない不憫さもあったのでしょう。溺愛されました。

 

おじいちゃん、おばあちゃんの愛情のかけ方は、母親のものとは一味違います。

無条件というか、とにかく甘あまです。

年寄っ子三文安の私となってしまいましたが、可愛がられた記憶は私の宝物です。

 

母は、父方の祖母から辛い時に辛いことを言われたので、ずっとしこりになっていたようです。

私にその時のことをよく話していました。

後に母は反省していて、

”お母さんも、生きて行くことが色々と大変だったから、ついお前に愚痴を言ってしまったけれど、それで、おばあさんのことを嫌いにさせてしまって悪かった”と、言っておりました。

 

援助は断っても、お墓を立て直すとか、そういう時はお知らせがあるわけです。

私は子供ながらに、お金がかかるときは言ってくるのねと、向こうの家には不信感ばかりが募りました。

それに、私という存在がなければ、父が亡くなった時点で他人になれるはずなのに、母に申し訳ないと感じておりました。

 

父の実家とは、長い間、連絡を取ることもなく過ぎました。

私と母の住所も電話番号も知らなかったのでしょう。

突然に、父の弟が母の実家に私たち母娘の連絡先を聞いてきたのです。

 

祖母が、具合が悪く、とにかく母に会いたいと言っているということでした。

危篤状態で会いたいと言われれば、行かないわけにはいきません。

 

祖母は、母に謝らなければ、あの世で私の父に合わす顔がない。死んでも死にきれないと言っていたと言います。

 

母が、枕元に座って

”おかあさん、御無沙汰しております。いかがですか?”

 

祖母は、叔父たちの手をかりて、やっと体を起こして、さらに布団の上に正座して

 

”〇〇には、本当に申し訳ないことをした。死ぬ前にどうしても謝りたかった。本当に悪かった”

泣きながら、手をついて謝りました。

 

母は、仕事を3つ持って、朝から晩まで働いていました。

そして、ときどき祖母のこと、私に愚痴を言っていました。

 

なので、泣いて謝る病床の祖母を見ても、私は実に冷ややかなものでした。

 

ところが、苦労をした本人の母が、祖母の手を取って、一緒に泣いているではありませんか。

”おかあさん、もう気にしないで下さい。手をあげて下さい”

 

この場面で、祖母をなじるような母ではなくて良かったと思う反面、 

 

 いいの?おかあさん。そんなに簡単に水に流せるの?

よく泣いて話していたよね。

私は、おばあさんの仕打ちを許せないよ。

というか、おかあさんのためにも許さない。

だいたい、死ぬ前にすっきりしたいって、自分勝手なだけじゃないの?

 

とも思ってしまうのでした。

 

二人になって、その気持ちを母に言うと、

 

おかあさんが、お前に苦労を見せすぎてしまった。

一人で留守番もさせて淋しい思いをさせてしまった。

だから、こんなにきつい子になってしまって、おかあさんは悲しい。

と言われました。

 

 

 私だって、わかっています。

許せないのは甘えだということ。

社会生活を送っていれば、お互いを思いやって、尊重しあっていかなければ何も動きません。

私だって、せめて、人に優しくしたいという気持ちは持って生きて行きたいと考えています。

 

私が祖母を許せないという幼稚な感情は、身内ゆえの甘えです。

 

可愛がってもらった記憶の無い祖母ですが、孫の許さないという感情は許してくれると思っています。

血の繋がった祖母なのですから。

 

この話、落ちがあります。

 

実は、本当に祖母はスッキリしたようで、死にそうだったはずでしたのに、元気になって、その後何年も生きました。

 

それから、この話を聞いてくれた人が

いつか、〇〇ちゃんも、おばあさんを許せるようになるといいな。

そうなるように、頑張る。と言ってくれました。

 

何の話や!ってなりましたね。

 

マイナスの記憶も、感情も、ひょんなことで楽!喜!などが加味される場合があります。

生きることによって、思い出の印象も変わっていきます。