母と私の着物ぐらし

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銀座の母へ

”夕べ眠れなかったから、こんなもの書いてたの” と母が見せてくれた紙に書かれていた文章です。

 

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銀座の母へ

銀座の母、あなたがまだ無名だった頃

新橋のラーメン屋さんで ”私、手相を見るんです” と、

たまたま同席した私たち母娘の手を取ったあなた。

”お母さん、苦労しましたね” 

娘には ”家庭運は少ないね” と、生後半年で逝った父を思いおこさせ

そして

”お母さん、晩年はとても良いですよ。娘さんも、生活に困らない良い手相です”と。

あれから、新橋で三十五年、私はママとして頑張ってきました。

あなたは<銀座の母>としてテレビなどにも出演されるようになり、

<先生>と呼ばれるようになっても

銀座の駅ですれ違うたび ”ママ元気?” と声をかけてくれました。

私はあなたの言う<晩年>を信じて、それを励みに生きてきました。

 

ところが、八十歳の暮れには乳がんの手術

まだまだ、さほどの良いこともないのに、、、

あれから三年

胸は左右チンバになり、着物も着づらくなりましたが、

踊りの師として頼られる喜びも感じられ

娘もずっとそばで私を支えてくれています。

 

今があなたの言う<晩年>でしょうか?

苦行のような人生でしたが、あなたの言葉が支えでした。

銀座の母、今もあなたの言葉を信じて生きています。

夢と希望をありがとう。

 

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母は、毎日睡眠導入剤を服用します。

それでも眠れないことが多いようです。

近頃は首から肩の痛みがひどく、寝返りをうった拍子の痛みで目が覚めることもあるといいます。

母の文を読んで、先ず言いました。”暗いだけの内容にならなくて偉かったね” と。

闇の中で考えを巡らすと暗い結論を導き出してしまいます。

真夜中に、枕もとのスタンドを点け、体のあちらこちらが痛む中、書いた字の上に字を重ねてしまうほどに見えない目で、これまでの色々なことを思い出しながら書いたのだと思います。

 

銀座の母にお会いしたのは、まだ母が新橋に店を始めて間もなくの頃で、腹ごしらえに入ったラーメン屋さんでの偶然の出会いです。

あちらから、自然と私たちの手を取って見て下さったので、見料もお支払いしておりません。

それだけに、母も私もその言葉を信じて、励みにして生きてきました。

母に聞かれたことがあります。

”晩年は良いって言ってもらったけど、晩年っていつなの?”

”晩年なんて、亡くなった年からさかのぼっての何年かをいうのだから、死んでみなくちゃわからないよ。まだまだ良くないと思うなら、まだまだ生きるってことじゃないの” と答えました。

 

人生百年といっても、80を過ぎた母は終盤に入っているのは間違いなく、色々な痛みに耐えている分、何か他で小さな幸せを感じてもらいたいのですが、コロナ下では大好きな温泉へも行けません。

”おっぱいまで取って生きることにしたのに、コロナなんかで死にたくない!”と母は申します。

ごもっとも。

 

晩年とは人生の集大成の時期で、これまでの頑張りへのご褒美がくるか、しわ寄せがくるか、、、

どちらにしろ、晩年を迎えている当人がジタバタしてどうなるというものでは無く、母の晩年の幸せは娘である私次第なのだというちょっとしたプレッシャーは感じています。

 

テレビでの<銀座の母>は、なかなかの毒舌です。

でも、愛情深い方なので、傷つけることなく励ましになるのだと思います。

私に言って下さったことも当たっています。

 ~使う分だけお金が入ってくる良い手相で、食べるには困らない。

金使いの荒い方ではありませんので、使うだけ入るといっても知れていますが、お陰様で明日のお金に困るようなことはありません。

 ~でも、大金に縁があるという手相ではない。

はい。宝くじは当たりませんね。でもこれからも夢を買いますけど。

 

お陰様で母と二人で幸せに暮らしています。