母が新橋で店を始めたころ(昭和50年代後半)は、サラリーマンの方々は、仕事始めには挨拶のみで、そのまま会社で乾杯!でした。
そのお帰りにお立ち寄り頂くために、母の店の1月4日の開店は昼の12時でした。
お通しやいくつかの煮物を用意して(それを持って)もちろん、母は着物を着て、そして、まだ一人では着物を着ることの出来なかった私に振袖の着付けをして、バタバタと出かけて行ったのを覚えています。
それでも、店のドアの前でお客様をお待たせすることもありましたし、駅前のお蕎麦屋さんで時間をつぶしてからお出で下さるお客様もございました。
お蕎麦屋さんでお年賀に配られた卓上用の缶入り七味が、ふたつ、みっつと集まります。
皆さん置いていかれるので。
母の店では、お正月4日にご来店下さったお客様に干支の楊枝入れを差し上げていました。
奥様がその楊枝入れの十二支を集めるのを楽しみにして下さるお客様もいらして、なぜか、20個以上あるのに干支が揃わないという苦情もございました。
そういう時、母はきっぱりと、”4日に来なかった年があるんじゃないのっ!?”
何やってるの!?的な言い方です。
新年のご挨拶をして、用意した十二支がそれぞれ彫られている金杯からご自分の干支を選んで頂いて、お酒を召し上がって頂くのが決まりでした。
年によって、デザインの精度が違うのです。
今年の干支、牛はNO.1のクオリティー。
牛に打ち出の小槌を持たれた恵比寿様が乗っていらして、まわりには小判がザクザク。
良い年になりそうです。
干支の金杯は早いもの勝ちです。
意外に同じ干支の方がいらして
”ああ、一回り違いですね。まさか、二回り?”
二回りともなりますと、もはや親子です。
親子ほど年の離れた、赤の他人が、地下にある狭い会員制のお店で、仲良く(?)呑んでいるって、ちょっと面白いです。
お客様同士で、干支が同じことを覚えていらしたりして、そこは会員制の紳士の皆さんなので、譲り合いをなさいます。
”ぞうぞ、これをお使い下さい。私は今年の干支で飲むことにします。”
”いやぁ、悪いですねぇ。”
”あっ、すみません。私、年男なので、それ使ってます。”
”いいです。いいです。では、息子の生まれた年のにします。”
と、こんな感じ。
懐かしいです。
召し上がって頂くお酒も特別です。
その年の干支が描かれた小さな薦被りを用意しておりました。
薦被りと金杯は、お正月の必須アイテムでした。
ところが、ある年の暮れにいつものように酒屋さんに注文すると、今年から扱わなくなったというのです。
デパートには売っていると思いましたが、暮れの忙しいときに寄り道するのも面倒ですし、重いですし、送るとなると、デパートだと送料取られるし、、、
などという愚痴を、妹弟子(以下ママ)に言ったのでしょうね。
妹弟子のご主人(以下パパ)が探して下さって、ママとハイジ(妹弟子の娘)で店まで届けてくれました。
一家そろって、私へのホローが 半端ない です。
そして、それはその後毎年続いて、パパから私への恒例のクリスマスプレゼントとなりました。
ハイジが空いた部分にマジックでひと言添えてくれます。
さすがに店を閉めたので頂けるとは思ってもいなかった一昨年も、自宅の方へ送って頂きました。
そのありがたい薦被りは、自宅での初釜に使わせて頂いたのでした。
あれ以来、お茶事は出来ずにおります。
私の最大の楽しみを奪ったコロナ憎し!
そして、このクリスマスにもお贈り下さいました。
さすがに恐縮しております。
昨年も、今後はご辞退する旨、ママに申し上げたと思うのですが、もしかしたら、初釜で使わせて頂いて、お客様が喜んで下さったことの方を大きな声で言ってしまったのかもしれません。