世間的には、孝行娘で通っている私です。
母は緑内障でわずかに残った視野に白内障が始まって、かなり見えずらいようです。
転ばれると困るので、手をつないでお散歩しています。
ご近所さんには、”仲良しね” と言われます。
母のお友達からは、”よく面倒見るわねぇ” と。
それに対し母は、”そうぉ?”
本家の義叔母などは、”〇〇ちゃんの真似は出来ない” と絶賛。
それに対し母は、 ”なにがぁ?”
まあ、いいのです。
私も、孝行というより、母が亡くなった後の後悔を少しでも減らしたいと思っているだけで、つまりは自分のためなのです。
二人だけで生きてきた、そのバランスが崩れたとき、どんな風に淋しいのか想像ができません。
なので、母の面倒くさいところや、母に対してイラっとしたことは、ちゃんとちゃんと記憶に残すのです。
良いことばかりの思い出は辛すぎると思うので。
先日、介護付き高級老人ホームに入っている伯母から電話がありました。
近くに住んでいる伯母の長女がひと月ぶりにホームを訪ねたそうです。
果物が食べたいというので、ミカンを買ってきてくれたと言います。
でも、会えません。またコロナの感染者が急増してますもの。
面会禁止です。
お年寄りにとっては、コロナはそれ自体が怖いウィルスというだけでなく、コロナ禍の環境が過酷です。
娘、息子、3人の孫にも恵まれた伯母ですが、その誰とも会うことが出来ません。
妹である母も会いに行けません。
晩年にこんなに淋しい思いをするとは想像だにしなかったと思います。
母も、”コロナだけにはなりたくない。お前にも会えないで死んで行くなんてイヤだ!”と言っております。
電話の向こうで元気のない伯母に、母は、”そんな高級なところに入れる姉さんは幸せなんだよ。私なんて、お金ないもの、家にいるしかないんだから。”
と、一応、慰めていました。
で、ここで、問題がミカンです。
ミカンは見たけれど、スタッフの方が持って行ってしまったと、伯母が悲しそうに訴えるのだそうです。
施設にはいろいろな方がいらっしゃるのでしょう。
一度に召し上がってお腹をこわしたりするのを防ぐために管理して下さっているのだと思います。
一番上の伯母が入院していたときも、その場で食べる以外は持ち帰るように言われたことがあります。
”今、食べたい!”って言って、持って来てもらえばいいじゃない” と、母。
電話を切ったあと、”ミカン、取られちゃったんだって” と、事情はちゃんと解かっている母なのですが、姉妹愛と言いますか、ミカンも自由に食べられない伯母にとても同情したようです。
”〇〇ちゃんも、近くにいるっていうのにひと月ぶりに来たんだって。”
”だって、行ったって、コロナ禍で面会出来ないし、訪ねる意味がないじゃない。”
”お前は、お母さんが入院したときは、毎日来てくれたよね。”
ーーーあれ?従妹には悪いけど、私の方が優しい娘みたいな立ち位置になっている。
”うん。でも、今はコロナ禍だし、〇〇ちゃんにはご主人も、お子さんもいるし、仕事も持ってるし、それに、認知症が始まった義母様とも同居しているじゃない。”
夜になって、伯母の長女に電話をしていた母は、”〇〇ちゃんも大変だろうけど、家の〇〇子だって気の毒だよ。私が本当に見えなくなってきたから、散歩してたって、いちいち、段があるよとか言わなくちゃならなくて、、、”
<気の毒>という言葉に笑ってしまいました。