ギリシャ神話の中には、あまたの美しい乙女が出てきますが、
私が心惹かれるのは、純潔の乙女ダフネです。
キューピットの悪戯で、アポロンにはダフネを恋する金の矢を、ダフネには恋を拒む鉛の矢が射られてしまいます。
アポロンは恋しいダフネをどこまでも追ってきます。
必死に逃げるダフネですが、あわやアポロンに追いつかれそうになった時に、川の神である父親にお願いするのです。
”お父様!助けて!
どうぞ、私の姿を変えて下さい。アポロンのものになるのは嫌です!”
そして、ダフネは月桂樹(ローリエ)の木に姿を変えてしまいます。
諦めきれないアポロンは、月桂樹で冠を作って、ダフネを想っていつもかぶっているという悲しいお話です。
ここで一番可哀想なのは、もちろん、ダフネです。アポロンではありません。
私としては、川の神であるダフネのお父様にひとこと言いたい気持ちもあります。
”ご自分の体を張っても守ってあげるべきでは?木に変える以外に解決策はなかったの?”
でも、アポロンは、何といってもゼウスの息子です。しかも、弓の名人です。
敵わぬ相手だったのでしょう。
美しく育った娘を、自ら月桂樹に変えなければならなかった川の神ラドンも、また悲劇の人ですね。
一つの救いは、ダフネの母親は大地の女神ガイヤなので、月桂樹となったダフネは、母に抱かれ、育まれているということでしょうか。
それにしても、ダフネの心根が愛おしいです。
”たとえ最高神ゼウスの息子のアポロンであろうと、私は意に染まぬ人のものには絶対にならないわ!この身は月桂樹になろうとも!”
潔いです。
でも、私がダフネをギリシャ神話にあまた出てくる乙女の中でNO・1に好きになったのは、このストーリーのためだけではないのです。
この<アポロンとダフネ>という有名なお話に、挿絵のように載っていた彫刻の写真に
魂を掴まれたとでもいうのでしょうか。
その美しさに感動してしまいました。
ベルニーニ作の<アポロンとダフネ>です。
この作品は、ダフネが月桂樹へと変化していく途中の姿を表現したものです。
足先は根に変わりつつあり、手の指も、髪も一部、枝に変わっていますが、純真無垢な娘の体が実に美しいのです。
ベルニーニがどんなに偉大な芸術家か知らない私でした。
無知な者の心も揺さぶるのが真の芸術ということなのでしょうか。
いつか実物を見てみたいなぁと思っておりました。
ツアー旅行でローマを訪れた時にその夢は実現しました。
半日の自由時間を利用して、ボルゲーゼ美術館に行くことが出来ました。
たまたま、ホテルが美術館とさほど離れていなかったことがラッキーでした。
親切なガイドさんが、電話での見学の予約(時間指定もありました)やタクシーの手配までして下さったことには感謝しています。
25年以上前のことですが、思い出すだけでドキドキしてきます。
本当に美しかったです。
像の周りを何回も回って、何回もため息がでました。
<アポロンとダフネ>が展示されている部屋に、<プロセルピナの略奪>という作品も展示されていました。
月桂樹に姿を変えてアポロンから逃れたダフネは、あくまでも華奢で堅い体つきですが、冥府の王ハデスに略奪されるプロセルピナは、女らしい柔らかい体をしています。
プロセルピナを抱えたハデスの指が、プロセルピナの太腿や腰に食い込んでいます。
これにはビックリしました。
”お母さん!お母さん!見て!見て!指が食い込んでる!”
”おおおすご~い!柔らかそうだねぇ~”
楽しい思い出です。
母の体力を考えると、海外旅行は到底無理ですが、久々にアルバムを開いて、楽しい時間を過ごしました。