母と私の着物ぐらし

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忘れられないお客様Iさん ~ 新橋ママの娘だった私

忘れられない人がいます。

 

 

母と私は、新橋でカラオケのあるお店を長くしておりました。

(1980年9月 開店  2017年1月 母が乳癌のため廃業)

 

Iさんは、私が学生時代から来て下さっている古い古いお客様です。

残念ながら、亡くなられました。

もう、お会いできないのが本当に淋しいです。

 

 

 

温和なお人柄で、何方とも楽しそうにお話をなさって、、、

 

という方ではありません!

 

好き嫌いは、ハッキリなさっていました。

とても正直な方で、お顔にも言葉にもすぐに出されます。

 

でも、好きな人に注ぐ愛情は、それこそ海よりも深くといった感じで、先輩、同僚、部下、会社、店、そして、ご家族を大切になさる方でした。

 

 

母の店はカウンターだけの小さな店です。

母と二人だけでする覚悟でしたので、安全のため、ご紹介者だけの会員制にすると決めました。

 

お客様にとりましては、行けば誰か知り合いがいるという店になりました。

これには、良い面も悪い面もございますが、、、

 

ご紹介者をさかのぼると同じ方になるかもしれないという仲間意識もあったように思います。

 

 

Iさんと同じ方にご紹介頂いたMさんも、週に2度、3度とお出で下さる大切なお客様でした。

 

が、このお二人、合いません。

 

同じ会社で部門もほぼ同じで、Iさんが1歳だけ年上です。

皆様が、お二人が、同じ店を気に入ることが不思議だとおっしゃるくらいタイプの違う方々です。

 

Mさんは御自分の感情を表に出される方ではありません。

いつも穏やかに適量飲まれて、上手な歌を楽しまれます。

 

正直過ぎるIさんは、Mさんがいらっしゃると露骨に嫌なお顔をなさいます。

会話にもちょっと突っかかる感じです。

まったく大人気ないんだから、とは思いますが、それでも、Iさんとしては、まだ我慢しているのです。

 

それは、Mさんが店にとって大事なお客様だと思っていらっしゃるから。

 

 

ある時、くしゃみが出そうになった私は、目の前にMさんがいるので避けなければ!と思って顔を背けたほうに、Iさんが座ってらっしゃいました。

            くしゃみをする人のイラスト(女性)

結果、Iさんには大変申し訳ないことになりました。

しかも慌てている私は、”ごめん、ごめん、だってMさんを避けなくちゃと思ったもんだから” とひどい言い訳を。

 

この様子をご覧になっていたお客様が、後におっしゃるには ”やはり、Iさんの勝ちだね。〇〇ちゃんは、それだけIさんに気を許してるんだよ。”

 

 

Mさんには多少我慢をなさるIさんですが、これが、めったにご来店のない好ましくない方、しかも後輩となりますと、Iさんは全く我慢が出来ません。

 

”お前!帰れ!” と言い出す始末。

 

こうなると、母も黙っていません。

 

”私のお客様に帰れとは何?言い過ぎなのよ!”

 

Iさんも母も、二人とも引かないので、まあ、Iさんが怒って帰るというのがパターンです。

そうです。こんなことは度々ありました。

 

そんな日の翌日は、Iさんは、決まってオープンと同時にご来店になって母に謝ります。

            花束・ブーケのイラスト

 

お花か、お菓子か、高級干物や焼き鳥のこともありましたが、とにかく何かお土産を持っていらっしゃいます。

 

週に何度もご来店下されば、御自分のお支払いが店にとってどれだけ重要かはおわかりになります。

だから、わがままにもなる訳ですが、Iさんは、例えママと口げんかになったとしても、御自分が来店しないと店が大変では?とご心配下さるような方でした。

結果、お土産をもって謝りにいらっしゃいます。

 

 

ご子息とお嬢様に恵まれていらして、特にお嬢様のことは可愛くて可愛くてという感じでした。

私がお話相手をしておりますと、”〇〇ちゃんは、うちのY子と同じことを言うなぁ”とご機嫌でした。

 

私とIさんは20歳の歳の差です。

お父さんのような、親戚の叔父さんのような、とにかく私のことはそれはそれは御贔屓でした。

母が私に小言を言うと、必ずかばって下さいました。

 

”人生一度なんだから、好きなように生きなさい。わがままを言いなさい。”と、いつも私におっしゃっていました。

これ、名言だと思います。

 

お嬢様がお嫁にいらした後は、私の贔屓度はさらにエスカレートしたように思います。

 

Iさんの言いつけ通り、わがままに生きようと決めた私が、Iさんと意見が合わないこともあります。

私も母同様に言い出すと止まりません。

 

”〇〇ちゃん、わがまま言い過ぎなんじゃない” とポツリ。 

 

いつかも、ちょっと私と言い合いになって、

”これだけ、お金を使えば、どこの店に行っても大事にされるもの、どこにだって行けばいいじゃない!”

 

”、、、、ここしかないよ”

 

と、ここまで気持ちをさらけ出してしまわれる方でした。

 

 

 

 

そんなIさんに、胃癌が見つかりました。

 

しばらくご来店が無いので、どうなさったのかと思っていましたら、会社の方がいらして、手術のため入院なさったと教えて下さいました。

そしてお使いを頼まれたと、封筒を渡されました。

 

”借金があるから持っていくように言われたんだ。”

”借金なんて無いよ。”

入院がご自分でわかっているのに清算をされないようなルーズな方ではありません。

 

”そうなの?これを持って行って、ちゃんと飲んで帰れって言われたんだよ。”

 

封筒には、お金が入っていて、裏には ”退院したらいちばんに〇〇ちゃんの店に行きます。” と書いてありました。

 

泣けました。

 

御自分が行けない間の店の売り上げを心配して前払いをして下さり、お使いを頼むことで、今日のお客様を確保して下さったのです。

その封筒は今でも大事に取ってあります。

 

 

退院後、2週間ほどでご来店下さいました。

奥様が体に良いからと作られた飲み物(灰色に少し赤を混ぜたような色)をお持ちになって、これを飲み切らないと帰れない、すごくまずいんだとおっしゃって、ウーロン茶とそれを交互に飲んで、私にはビールを注いで下さいました。

 

途中にお正月もありましたが、ひと月ほどは全くアルコール無しの生活をなさっていながら、店には通って下さいました。

開店と同時にいらして1時間ほどすると、奥様が心配なさるからとお帰りになります。

 

 

そんな時、母が転んだときに手首をついて、複雑骨折をしました。

 

手術の当日も通常営業をするつもりでしたが、麻酔が切れかかって、もうろうとしている母が、看護師さんにまるで子どものように ”痛い!痛い!”と訴えています。

いつもは我慢強い母ですが、麻酔のせいで素になっているようです。

 

母のそばを離れられなくなりました。

 

店は休めなくても、開店時間は遅くすることにして、連絡を出来るところには電話を入れました。

 今のように、メールが当たり前の時代ではありませんでした。

 

一番早い時間にご来店しそうなIさんにも、もちろんご連絡しました。

まだ体調充分ではないのに、寒い中お待たせしたら大変です。

今日は真っすぐ帰って頂かなければ!

 

後ろ髪を引かれる思いで病院を出て、店に着いたときは、7時半近くになっていたと思います。(通常5時開店)

 

すぐに、Mさんが来て下さいました。

Mさんも、いつもは早い時間にご来店なさいます。

 

”待っててくれたの?”

”そうだよ。お母さんどうなの?”

 

ありがたかったです。

長いお付き合いのお客様は、本気で心配して下さいます。

 

すぐに、なんとIさんがいらっしゃいました。

いつもならば帰る時間を過ぎています。

お酒も飲めないのに。

 

”待っててくれたの?大丈夫なの?”

”だって、お母さんが手術と聞いたら帰れないだろ”

 

この優しさは感動ものでした。

 

ご連絡の電話では、開店時間が遅れることだけをお伝えして、”何かあったの?”と聞いて下さった方だけに、”実は、、、”とお話しました。

 

さすがに、”女房に怒られるから” と、早々にお帰りになりましたが、少しお疲れが出ているように見えて心配でした。

 

 

しばらくして、ウイスキーを薄いお湯割りにして飲まれるようになって、このままお元気になられると信じておりました。

ですが、一年が過ぎたころ、お具合が悪くなられました。

再発ではありません。

手術の時、すでに手おくれの状態だったと後で聞きました。

 

 

入院中も病院からお電話があります。

かつての可愛い部下が、2度目の会社にとっては大切なお客様になっています。

その方々に、ボトルを入れるようにという依頼です。

 

これにはIさんの2つの策が含まれています。

ひとつは、直接にボトルの売り上げが上がるというもの。

もうひとつは、ボトルがあれば、飲みに来やすいということ。

              ウイスキーのイラスト

 

入院は長くなりました。

御自分は、何も食べられず、点滴だけで栄養を取るような状態になられても、毎月ボトルを入れて下さいます。

 

電話口で、”〇〇ちゃんの役にたっているかな” と。

 

”たってる、たってる、ホント助かってる。でも、元気になってくれるのが一番嬉しいから、頑張ってね”

 

Iさんのお見舞いに行ったら、〇〇ちゃんのところへ行ってやってほしいと言われたからと、ご来店下さるお客様もいらっしゃいました。

 

 

母とお見舞いに伺ったとき

”お母さんはもういいけど、〇〇ちゃんは生きていかなきゃならないんだから、店、大変だなぁ” 

後で、母は、”お母さんは、もういいけどって言われたぁ~”と、お客様に言いつけていました。

皆さん,Iさんらしいと苦笑いです。

 

 

突然、上等なお肉が届きました。

”肉が食べたいなと思ったんだけど、俺、食べれないし、お母さん、肉好きだったよね。代わりに二人に食べてもらいたくてさ”

 

ある日、病室の様子をうかがうと、奥様とずっとお話されています。

店で、私とずっとお話されていたように、ご家庭では、ああして奥様とお話してらしたのですね。

お話好きの淋しがり屋なのです。

でも、そのご様子、ご夫婦仲が良くて微笑ましく思いました。

 

 

奥様ではない少しお若い女性が付き添っておいでのことがありました。

御親戚の方だとは思いますが、さて、自己紹介をしなければと、お声をかけますと、あちらから ”あっ、新橋の” と、言って頂けて助かりました。

 

弟さんのお嫁さんでした。

でも、義理の妹さんまで私を知っていて下さるとは驚きです。

 

 

2度目のお勤め先の方から、お電話を頂いて、”忙しいだろうけど、Iさんのお見舞いに行ってもらえないか” と頼まれました。

 

その方のお気持ち、よく解かります。

お見舞いに伺っても、何もしてさしあげられない、この人が喜ぶことってなんだろう?

お気に入りの〇〇ちゃんが来たら、少しは喜んでくれるのではないか。

 

私も、Iさんの大のお気に入りの元部下の方に同じことを言いましたもの。

 

ですが、2度目のお勤め先の、しかも短い間にこれだけの人間関係を作るって、Iさんだからです。

なにしろ、正直で、お仕事も一所懸命な方です。

 

 

  

 

 お棺には、Iさんのカラオケリストを入れさせて頂きました。

奥様が気を使われて、お顔のすぐそばに入れて下さったもので、お花の中で目立っていました。

参列者のなかには、店のお客様も大勢いらっしゃいました。

皆さん、悲しくて目を腫らしていらっしゃるのに、そのリストを見て笑ってしまいましす。

 

笑顔で送ってほしかったのでしょう。

 

 

   

 年賀状を書く時期になりました。

年賀状は、頂くと嬉しいのですが、書くのは少し面倒です。

 

コロナ禍では、他人様が触れたものに触れない方がいいのだから、今年は失礼してしまおうか、メールでご挨拶でもいいし、、、

 

と思いましたが、年賀状だけのお付き合いになっているIさんの奥様にはお出ししなければ、いえ、母も元気でいること、Iさんへの感謝の気持ちは今も忘れていないことをお伝えしたいです。