お茶事の本席には、墨蹟(禅宗の僧侶が筆で書いたもの)がかけられる場合が多いです。
禅語に季節は無いといいます。
そこには季節にとらわれることのない教えがあるからです。
とは、いっても、やはり私は季節を感じてしまいます。
茶席の禅語を紹介する本の中でも、〇月に使いやすい禅語などと、微妙な表現が見られます。
<風光日々新> は、5月にお茶事をしたときに求めたものです。
風薫る5月には、是非とも ”風” の入っている語が掛けたかったのです。
このお軸を拝見したとたん、かすかに梢がゆれて、新緑がキラキラと輝いている様子までが目に浮かびました。
いかにも爽やかな感じに魅かれましたが、この語を秋に掛ける方が多いと知って慌てています。
”風光” とは景色のこと。風光明媚とか言いますものね。
”風光日々新” とは、大自然の風景は、日々、新たな変化があるということです。
変わっていないように見えて、確実に変わっている。そして変わっているからこそ永遠なのだそうです。
禅語でいう ”風光” とは、帰り着くべき本来の場所、その光景のことで、”本地の風光” のこと。つまりは、本来の心のあり方をいうそうです。
自然は日々変わっているよ。
人も日々変わっていかなければね。
毎日、新たな気持ちで生きていきましょうね。
変化がなければ、成長もないよ。
と、いうことでしょうか。
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皆さんが、ご自宅でお篭り生活をなさっています。
退屈だとご不満な方、せっかく出来た時間を、これまで忙しくて諦めていたことに充てる方、いろいろだと思います。
私も、いつになったらお客様をお迎えしてお茶事が出来るのやらと、嘆いておりましたが、<風光日々新> のお軸の存在を思い出し、励まされた感じが致します。
気持ちを新たに、今日という日を過ごそうと思います。