5,6年前のことでしたか、母は路上でつまずいて、顔から転びました。
鼻と頬の骨を骨折しましたが、頭に異常が無かったのは幸いです。
私は、隣を歩いていたのですが、何もできず、倒れた後も慌てるばかりでした。
お食事に行くところでしたので、ふたりとも着物のまま救急車で運ばれました。
とにかく、それ以来、外では手をつなぐことにしました。
母は、緑内障のため、左目がほとんど見えません。頼りの右目の視野もかなり狭い上、そこに白内障が加わり、本当に見えづらくなりました。
せめて白内障の手術を受けようと思い、大学病院に行きましたが、光を失う可能性もあるとの説明があり、恐ろしくてやめました。
紗の布越しに物を見ているような状態です。そしてその布の枚数は重ねられていくという心細い状況です。
少しでも見えるうちに、いろいろ見てもらいたいと思い、旅行などもしておりましたのに、新型コロナの影響でそれも出来ません。
腰椎すべり症で、杖も使います。頑張って歩いて、休憩がてらランチをするのを楽しみにしておりましたが、今は怖いので、外食も出来ません。
散歩環境は悪くなりました。
そんな中、お花には助けられています。
春先、とにかく芽吹いた名も知らぬ花を見つけて、母に知らせます。
顔を近づけ、可愛いね!と言ってくれると、まだこれは見えているのかとほっとします。
河津桜はいいですね。ピンクの色が濃いので、母にも見やすいようです。
ソメイヨシノの3分咲き程度のものは、全く見えないようで、私もいっしょに落ち込みましたが、”大丈夫!満開になればお母さんにも見えるから” と言ってくれる友がいて救われました。そっくりそのまま母にも言ったら、”そうだね”と。
事実、満開の桜は今年も母と楽しめました。
母のお蔭で、とにかく散歩中はお花を探すので、これまで気付かなかったお花が目にとまるようになり、私の楽しみも増えました。
二人で立ち止まって、顔を近づけて、じっと見ているので、いかにもその花に興味があるように見えたのでしょう。見知らぬ人に声をかけられました。
紫の小花に魅かれ佇めば告げるひと在り名はライラック
ああ、これがライラックなのね。私はお花に詳しくありません。
その方、自転車に乗ってらして、”ライラックだよ” とだけおっしゃって、そのまま通り過ぎて行かれました。かっこいい!
その花の正式な名前を知らぬまま、母がサクラ草と呼んでいる可愛らしい花があります。群生するので見ごたえがあり、母のお気に入りの散歩コースになっていました。
”今日はサクラ草の方へ歩いてみようか” といった感じです。
サクラ草と母が呼びいしその花の実の名もはや我が家に不要
散歩コースのひとつに私たち母娘が ”椿屋敷” と呼ばせて頂いているお宅があります。
何本ものりっぱな椿の木があり、毎年楽しませて頂いております。
つぼみが大きく膨らんできたのを母と見ておりまして、気付いたら、お庭にその家のご主人が立っていらっしゃいます。頭を下げましたら、先の方を指さされます。そちらの木にはすでに椿が花開いて見事でした。
塀の中を遠慮もなく覗いておりますのに、やはり花を愛する方はお優しいです。
つぼみなる椿に惹かれ覗きおればその家の主人笑いて立ちいつ
椿屋敷には大きなコブシの木もあります。コブシは花の時期は葉がないので、見上げますと、青空に白い花が映えます。花も、空もいちだんと美しくみえます。
風の中ま白きコブシ見上ぐれば雲ひとつなき東京の空
椿屋敷にはバラの木もたくさんあります。花は咲いているときにだけその存在に気付くのです。
母と散歩の足止めて椿見惚れし彼の庭はバラ園となり
短歌は、もともと母の趣味でしたので、何となく私も作るようになりました。
価値観も何もかも似てまいります。これが刷り込みというのでしょうか。
良くも悪くも親子です。
NHKの添削講座を二人で受けてみたりもしたのですが、直して頂くと、実際の気持から離れる時もあり、また、締め切りに追われて苦しいのでお休みしています。
お休みしたら、めっきり作らなくなりましたが、新型コロナの影響で、お家での時間ができました。短歌も良いかなと思っています。学ぶことは果てしなくあります。
母のお散歩短歌も御披露します。
いたわりて花咲く路を選び引く娘の手は杖に時には目にも
広き庭あふれ咲きいしサクラ草アパートとなりプランターに並ぶ
手を引かれ団地の花壇咲く花の色数えれば見えしやと娘の
重き腰花咲き満つと手を引かれ行けば歌出る赤白きいろ
”綺麗よ”の娘の手にすがり一歩づつハナミズキの道春の陽の中