母と私の着物ぐらし

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百花為誰開 ~ ヒャッカ タガタメニヒラク ~

春になると色々な花が咲き、私たちを楽しませてくれます。

毎年、同じ時期に、誰に言われることもなく花は咲きます。

足も腰も悪く、歩くのが苦手な母を、なんとかお散歩に連れ出すのには、本当にありがたい季節です。

この花々、無心に咲いているからこそ、美しいのだそうです。

 

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百花為誰開 ~ ヒャッカ タガタメニ ヒラク ~

たくさんの花たちは、誰のために咲いているのだろうか?いいえ、誰のためでもありません!という反語になっています。

花は、特定の誰かのために咲いているのではなく、でも、無意味に咲いているのでも無く、咲くべくして咲いている。無心の境地を教えてくれる言葉です。

 

百花という華やかなイメージに引かれて、< 百花繚乱 >の趣向の茶事の時に、求めたお軸です。

そうなのです。はじめは、禅語そのものには、さほどの興味もなく、”お軸が無いと、お茶事できません” 的な出会いでした。 

手持ちのお軸の意味くらいは知っておきたいものと、調べてみますと、それぞれ深い意味があり、はっとさせられたり、時には救われる思いがすることもあります。

 

 

花は咲くべくして咲き、人は生きるべくして生きる。

人も鳥も花も、この世に存在する生きとし生けるもの全ては、ことごとく仏である。

とのことですが、難しいですね。

 

私的には、その内容は、スマップの< 世界に一つだけの花 >だと感じています。

NO.1ヒット曲になるほど愛されたということは、多くの人が無心に生きることの素敵さを感じているのだと思います。

 

無心とは遠い話になりますが、この言葉に出会った当初は、”花は誰かのために咲いているのではありません”に対し、”花のことはわからないけど、私は、あなたの為だけに咲きたいです!咲いています!咲き続けます!”と思ったものです。乙女ですね。

そして、その当時、おばさんと思っていた世代になった今、気持ちは驚くほど変わっていません。無心に生きるのも素敵ですが、多少の野心はあっても、ひとすじに生きていきたいと思うのです。